高知城(高知公園)

山内一豊が慶長8年(1603)に築城。
国の重要文化財に指定。3層6階の天守閣を持つ平山城、南海の名城として名高い。
板垣退助や山内一豊の妻の像もある。

街の中央にあり、白亜の天守閣からは眼下にひろがる高知市街と四方の眺望を楽しむことができる。
 関ヶ原の合戦の後、山内一豊が土佐の領主として慶長6年(1601)入国し、大高坂山にその居城として築城した。
その後享保12年(1727)大火でほとんど焼失したが25年後に再建され現在に至る全国でも数少ない古城の一つ。
国の重要文化財の指定を受けている。
 城内にある懐徳館には土佐の文化遺産が陳列されている。また、高知城一帯は高知公園となり、
追手門内および周辺には板垣退助の銅像、山内一豊公、山内一豊の妻、板垣退助の像などのほか、
県立図書館や高知県立文学館などがあり、文化の中心地を形成している。

 

追手門
慶弔年間創建、寛文4年(1664)に再建されたもので、切石を積んだ石垣を枡形に配置しそれに南面して建てられた城の正門。
重層で屋根は入母屋造り、その木割は太く堂々とし、黷用いた主柱や扉、冠木等には要所に銅製の飾金具を取付けえある。
その規模は大きく城門として豪壮優美な趣を備えている。
追手門からは、「日本の道百選」にも選ばれた「追手筋」が続く。追手筋には毎週日曜日に、数百件の露天商が並び賑わう。

高知城の沿革
南北朝時代 もと大高坂城という。南北朝時代に大高坂松王丸が南朝に応じ、これに拠って北朝方と戦ったと伝えられる。
戦国時代 長宗我部元親が土佐一国を平定、さらに兵を進めて四国を併合し、天正16年(1558)ここに築城した。
しかし城下に水難が多いため、数年を経ず城を浦戸に移した。
慶長6年
(1601)
関が原の戦功により、遠州掛川(6万石)から土佐(24万石)に封ぜられた山内一豊が、
百々越前守を築城奉行に任じて工を起した。
慶長8年
(1603)
本丸を完成
享保12年
(1727)
越前町より出火し、全城大半類焼。
享保14年
(1729)
再建に着手
宝暦3年
(1753)
慶長創建の姿にならい施工し、24年を経て竣工し現在に至っている。
明治維新後 公園化のため二の丸、三の丸のなど多くの建造物が破壊されたが本丸及び追手門等15棟が残し、
城域を整理し、花木を植え公園とした。
城跡と共に創建当時の形がほぼ完全な状態で残っている全国でも有数の名城である。
昭和9年
(1934)
天守・追手門等15棟が、当時の国宝保守方により国宝の指定を受けた。
昭和25年
(1950)
文化財保護法制定により重要文化財と名称が変更された。
昭和34年
(1959)
城域一帯が史跡の指定を受ける。(史跡:高知城跡約10万平方メートル)


アクセス方法

JR高知駅から徒歩約15分。
車ならR33を高知県庁の標識をたよりに曲がればすぐ。県庁前に地下駐車場がある。

 

高知城 追手門 山内一豊公
板垣退助
山内一豊の妻

 

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